「充実した学生生活」ってなんなんだろう?‐何をしたいのか分からなかったおれの場合

大学に入った頃、「学生の貧乏旅行」「アルバイトで思い出作り」「朝まで桃鉄」「酒を飲みながらギターを囲んでみんなで歌う」みたいな、ステレオタイプな「青春」に対する嫌悪感が強くて、なるべく遠いところに居ようとしていた。

だけど、何をしたいのか分からなかった。

当然、そうやって表層を見てレッテルを貼ることは無意味で、個々の出来事というのは個別具体的で生き生きした出来事なのだと思う。おれは「青春」に嫉妬していただけなんだろう。


「充実した学生生活」ってなんなんだろう、って、ずっと考えていた。



マズローの欲求段階説を正しく理解している自信はないんだけど、

人の欲求には階層性があって、低次の欲求が満たされるとより高次の欲求が現れ、その欲求が動機づけとなる。1〜4層までの足りないものを満たす基本的欲求(欠乏欲求)が満たされてはじめて、欠乏を満たすものではない成長に対する欲求に向かう。

というものだと思う。

マズローの心理学 p73

われわれの社会のたいがいの人間はほとんどの基本的欲求を部分的には満足させるが、いぜんとして満たされない基本的欲求をいくらか残すのである。最も大きな影響を与えるのは、この満たされていない欲求である。つまり欲求はひとたび満足されると動機づけにはあまり効果をもたなくなるのである。「満たされた欲望はもはや欲望ではない」


これをもとに考えてみると、おれ自身とか、周りにいる人たちは、たぶん安全の欲求まではわりと常に満たされていると考えられる(生理的欲求のうち性的な欲求についてはちょっと別の問題だけど)。

そして問題となるのが、「集団に所属したい。関係の中で深く理解され、深く受け入れられたい」という「所属と愛の欲求」。それから「承認欲求」ということになる。

マズローの心理学 p67

人間は二種類の承認の欲求をもっている。すなわち、自尊心と他者からの承認である。

1、自尊心は、自身・能力・熟練・有能・達成・自立、そして自由などに対する欲求を含んでいる。
2、他者からの承認は、名声・表彰・受容・注目・地位・評判などの概念を含んでいる。

所属するコミュニティーが多くても、友達がたくさんいても、彼女・彼氏がいても、メールがたくさん届いても、日記にコメントがたくさんついても、この2つの欲求がなかなか満たされない・体感できない、というのが「なにか満たされない」「何も為していないのではないか」という感覚につながるのだろう。この2つの欲求が満たされて、はじめてステレオタイプな「充実した学生生活」を追い求めたり、逆にそれを直視できなかったり嫉妬したりすることがなくなるのだと思う。


宇野常寛さんが書いている
大学生よ、サークル貴族を目指せ!

どんな人間関係でもそうだが、サークルに入って2ヶ月もすれば、自然とその中で序列ができてくる。ハッキリ言おう。この段階で、「いい位置」「おいしい キャラ」をゲットできなかった奴はそのサークルをやめた方がいい。サークルは階級社会だ。まず中心メンバーとしてサークルを支配する階級が2〜3人いる (サークル王族)、そしてその周囲で、それなりにいい位置にいる階級が数名いる(サークル貴族)、サークルを楽しめるのはこの階級までだ。恋愛も基本的に この上から2階級の間で行われる。残る「いじめられはしないけど数合わせの域を出ないメンバー」(サークル平民)と、「いじられキャラ」「パシリ」を強要される階級(サークル奴隷)はサークルで楽しい思いをするよりストレスを感じることの方が多い。だが、大抵サークルをやめてしまうと友達がいなくなってし まうのが怖くて、ズルズルといつまでもすがりついてしまう。

というのは、学生の「所属と愛の欲求」が満たされにくい状況をうまく表していると思います(「いじられキャラ」がサークル奴隷、というのは違うと思うけど)。



インターネットの弊害ってものをおれはまったく信じていないけれど、
1、youtubeなどがあることで、肉体感覚なしに、あまりに容易に時間が潰せてしまい、余計に焦りを生む。
2、googleで検索をしてみれば、どの分野にもあまりにすごい人がいる・これは新しい!と思ったことでも誰かがすでにやっている、ということが瞬時に分かってしまい、無力感に陥りやすい。井の中の蛙状態になれない。
という側面はあると思います。


それでは、「所属と愛の欲求」「承認欲求」を満たすための手助けになり、さらに「自分のしたいこと」を見つける手がかりになることって何なのだろうか?


まつもとゆきひろさんの言う「適切な大きさと複雑さを持ったいい問題」という考え方と、小野和俊さんの言う「ラストマン戦略」という考え方は、その大きなヒントを与えてくれると思う。

小野和俊のブログ:持続可能な成長を実現する「ラストマン」という自分戦略: 八百屋になりたい人が肉屋に入ってしまったらどうするか?

ラストマン戦略とは、ある所属組織内で自分が一番(最後に立っている人 = ラストマン)になれそうなポイントを見つけて、実際にラストマンになったら対象となる組織自体を大きくしていく、という自分戦略である。


例えば高校生であれば、英語を伸ばそうと思ったら、まず仲間内の何人かの中でのトップを目指す。これが実現できたら、次はクラスでトップを目指す。クラスでトップになったら市町村で、その次は都道府県で、さらにその次は国内で、といった要領で、段階的に広い範囲の中でのトップを目指していく。もし仲間内でもトップになれそうになかったら、今度は「英語」ではなく、「英語の読解」や「英語のヒヤリング」といった形で、対象分野をもっと細かく分解して目標を再設定してみる。それでもダメそうなら英語はあきらめて数学でトップを目指すことを検討してみる。


ラストマンは大切にされる

 「ネットワークプログラミング、ウェブフレームワークRubyなど、ある分野で何か聞こうというとき、この人に聞けば一番良いという人がいる。直接教えてくれたり、人を紹介してくれたりする。そんな人は大切にされることになり、ハッピーになれる」(同)


 ラストマンになるためには「コネクションが重要」になる。「本人がすべて知っている必要はない。たとえば、ネットワークプログラミングについて何でも知っている人などいないだろう。要は、ある目的にたどり着くまでの道しるべになれるかどうかだ。どんなキーワードで検索すれば良いか、どのサイトにアクセスすれば良いか、誰に聞けばよいか」。


コミュニティー内で適切なサイズの問題に出会ったり作ったりして、それを解くために自分の手足を動かすことで、コミュニティー内の何かに関するラストマンになっていくことが、結果として「所属と愛の欲求」「承認欲求」を満たしそれらの呪縛から逃れる道だと思う。

サークルでいえば、学祭、イベントの幹事、新しいイベントを立ち上げ、とかは手ごろに出会える「適切なサイズな問題」になり得る。適切なサイズの問題をうまく供給できれば、サークルは階級社会を脱することができると思う。

そして「自分のしたいこと」なんてものは、そのあとからついてきた錯覚でもなんでもいいのだと思う。



支離滅裂になってしまったけど、おれは6年かけても結局「承認欲求」を乗り越えられなかった。

だけど、次の2つはおれの学生生活にとって大きかったです。
1、複数のコミュニティーに所属したこと。生活範囲が広がり出会いのチャンスが増える。1つのコミュニティーや人間関係に固執する必要がなくなる。コミュニティーAにおいては、コミュニティーBに所属している・その分野について知っているということだけで、ラストマンになり得る。
2、ちょっと惹かれたことを話したときに「それめっちゃおもしろそうじゃん!やってみなよ!!」って強烈に背中を押してくれる存在がいてくれたこと。



バイト先の後輩たちと卒業旅行で1泊2日のボード旅行に行きました。原則年中無休なのでバイト同士で旅行に行ったりできなくて、この卒業旅行はずっと前から言っていた数年越しの夢で、それがかなってうれしかったです。