この10年の夏フェスの思い出
初めて夏フェスに行ったのが、2005年のROCK IN JAPAN。それから10年が経ったので、この10年の思い出をまとめてみた。
この10年、ずっと自分よりちょっと年上の人がメインの客層のような気がしているけど、多分そんなことはなくて、しっかりおれは30歳になってしまった。
ROCK IN JAPAN 2005
大学3回生の夏、はじめての夏フェスで宿の取り方も分からなかった。快晴のひたちなかは、ビールよりポカリ!というくらい暑くて、納豆ねばねば丼とスイカジュースがよかった。
雲ひとつない快晴で、入口のゲートをくぐった瞬間のあの雰囲気と、空に浮かぶバルーンと、そして会場に流れる音楽。一番最初に見た風味堂のときに、空にポカリスエットの飛行機雲が浮かんで。憧れどおりの場所に、なんともいえないわくわく感でした。
感覚的にはブームとしての夏フェスの終わりの始まりのような頃で、まだフェスを追いかけて腕にリストバンドをいくつも巻いている女の子たちがいた。
CoccoとくるりのSINGER SONGER出演(セットリストの最後が『花柄』でぶっ殺すを連呼したのが衝撃だった)、ミスチル・サザン揃い踏み、銀杏BOYZ峯田全裸騒動。
サザンのアンコールで後ろ髪をひかれながら、終電で実家へ帰った。サザンのライブはあの1回しかみたことがないのだけど、あれほどフェスのトリが似合うバンドはない。
何より2005年は真心ブラザーズが復活した年で、ずっとPeace and Loudを聴いてROCK IN JAPANに行った。あの真心のライブは最高で、あのライブをみたから、フェスに行き続けているのだ。
RISING SUN ROCK FESTIVAL 2006 in EZO
大学4回生。ひたちなかはあまりに暑く、「北海道+フェス会場でのキャンプ+朝日」に対する憧れも強くて、ライジングサンへ。
麻生駅からシャトルバスに乗って会場に着き、入場待ちをしているときに『恋人たちのロック』がかかっていたことを覚えている。
水曜日夜中に舞鶴発のフェリーに乗って甲板で乾杯、木曜日の夜に小樽につき、札幌へ移動してジンギスカンを食べて、金曜日〜日曜日の朝までライジングサン(土曜日の朝は温泉ツアー)、日曜日の夜に小樽で寿司を食べてフェリーに乗り、月曜日の夜に帰ってくるスタイルを確立。
忌野清志郎さんが体調不良で出演キャンセル、三人の侍(Char、奥田民生、山崎まさよし)が出演。おれは結局、忌野清志郎さんのライブをみる機会はなかった。
クロマニヨンズ結成。デビューの最初からリアルタイムで見ているバンドって良いんじゃないか?みたいなことを、ヒロトがインタビューに答えて言っていた気がする。
ライジングサンにも出ることが発表されていて、確か最初に出演したFM802のイベントで正体が明かされていた(みんな知っていたけど)。1日目のメインステージのラストがスカパラで、アンコールで飛び跳ねながら出てきて『星降る夜に』を歌うヒロトが本当にうれしそうだった。
この年は、COUNT DOWN JAPAN(大阪会場)にも行って、スカパラで年越し。
RISING SUN ROCK FESTIVAL 2007 in EZO
修士1回生。この年は、京都から夜行バスに乗って荒吐にも行った。
曽我部さんに一番はまっていた頃(テレフォンラブに象徴されるような!)で、この年のライジングサンはその曽我部恵一バンドがトリだった。
オオトリの1組前のCoccoのセッティングでトラブルがあり30分押し。Coccoが終わるとほぼ同時に日の出を迎える中、出てきた曽我部恵一バンドの面々は自ら音出しを15分くらいしたあと(普通ステージの転換は30分)1回はけることもなく「じゃあやります、曽我部恵一バンドです」みたいな感じでスタート。
というところであわてたように出ばやしがかかり、しょうがないなって感じでにやけながら4人で円陣。出ばやしが鳴り終わると同時に「おー!」と叫び、ステージの真ん中に小さく集まった4人が弾きだしたイントロはもちろん恋人たちのロック!
ハナレグミのステージにスチャダラがゲスト出演して、初めて生ブギーバックを聴いた。
そのハナレグミは2日連続出演したスカパラの1日目にゲスト出演。この年のGREENOASISは小さい箱で(確か途中で半分壊れていた)、すごい列に並んでなんとか入ったのだった。
THA BLUE HERBや、この頃はまだあったMOON CIRCUSでみたコーネリアスもすごかった。
この年のライジングサンは、リストバンドが足りなくなるほどお客さんが入り、そしてトイレパンク事件が起こった年でもあった。
RISING SUN ROCK FESTIVAL 2008 in EZO
前年末のボード旅行で親しくなった後輩たちと一緒に行ったのがうれしかった。ライジングサンの後は男3人で延泊して、旭山動物園に行った。
この年は、会場についてテントを張るまでが大雨で、リュックの中身からすべてずぶ濡れになった。最初にみたフラカンを待っていると、メインステージからくるりのワンダーフォーゲルが聴こえてきた。
出演アーティストにロックインジャパンに重複出演をしないように依頼したことが波紋を呼び、でも曽我部さんは別ユニットで両方に出演していた。昨年までは北海道中から集めていた仮説トイレを、本州にまで手を広げて確保したらしい。
夕方のRED STAR FIELDでみた曽我部恵一ランデヴーバンドが、風が気持ちよくて最高だった。
まだアルバムを出す前のpe'zmokuがなぜか1時間20分の持ち時間で出演、夢中になって踊った。最後に銀杏BOYZのライブをみたのも、この年のライジングサンだった。
それからメインステージのオオトリ前の一枠が最後まで未発表だった。友達の部屋でビールを飲みながら、これはサニーデイ再結成あるんじゃないか!?と友達が言い出し、その通りサニーデイが出演。学生時代最後のフェスでサニーデイをみた、という鑑賞に浸った夏フェスだった(でも誰も付き合ってくれなくて一人でみた!)。
2009
社会人1年目、夏フェスに唯一行かなかった年。
年末に向けて七尾旅人×やけのはらのRollin' Rollin'が盛り上がり、来年は絶対にRollin' Rollin'を生で聴こうと、友達と一緒に(社会人1年目特有のある種の全能感も相まって)盛り上がった。
RISING SUN ROCK FESTIVAL 2010 in EZO
社会人2年目、2010年はRollin' Rollin'を追いかけてフェスを回った1年だった(大げさ!)。
4月はKAIKOO@東京晴海埠頭へ。会場外の小さいステージでのやけのはらのライブ、最高だった。トリがクラムボンで、海風が気持ちよくて、きらきらしたフェスだった。
8月、ライジングサンへ。はじめて飛行機で行ったライジングサン。前日の夕方に前泊して、さっぽろ夏祭りでビールを飲んでから、ジンギスカンを食べた。
2008年は17,000円だったHEAVEN'テントサイト付入場券が21,000円になっており、出演アーティスト数が目に見えて減りはじめ(メインステージのアーティスト数が、2008年17組⇒2010年14組⇒2013年12組)、大人路線に明確にフォーカスした印象。
ライジングサンの直前に降った大雨で全面沼地状態の会場を、PE'Zから七尾旅人まで走ったことを思い出す。
1日目のトリのスチャダラ、それから何といっても1日目深夜のオオハタハラダナガヅミが、こういうライブをみたくてライジングサンに来ているのだと思わせる、いつまでも夜を楽しんでいたくなるライブだった。
10月、STARS ONへ。穏やかで昼寝したくなるような居心地のいいイベントで、イルリメが最高だった。トリのスチャダラでは、会場の電気を消してブギーバックを合唱。
iPhoneがすっかり普及して、フェス+twitterがお決まりになった頃。おれもフェスでしか起動しなかったFastweetLiveを見ながら悦に入っていた。
RISING SUN ROCK FESTIVAL 2011 in EZO
社会人3年目。
四人の侍で、斉藤和義が歌う『歩いて帰ろう』に、山崎まさよしがはもってギターソロを弾く、そんなライブをみるなんて夢のようだった。
向井秀徳+七尾旅人のステージで、向井さんの『CRAZY DAYS CRAZY FEELING』を聴いていて、おれも3.11以後を暮らしているのだと唐突に実感を持った。
ライジングサンが終わってから札幌で銭湯に行くという新しいパターンを確立(ついでに会場までタクシーを使うことに抵抗がなくなった)。そしてこの年、(後輩たちのテントの立派さに憧れ)5年間ライジングサンで使ったテントを捨てて帰ってきたのだ。
この年もSTARS ONに行き、ZAZEN BOYSの演奏に圧倒された。
RISING SUN ROCK FESTIVAL 2012 in EZO
社会人4年目。この頃から、ライジングサン以外でライブを行くのは年に数回あるかないかになってきた。。
はじめて前泊せずに当日朝の飛行機で北海道へ。
この年から会場のレイアウトが大きく変わり、MOON CIRCUSが消滅。独特の光演出&雰囲気だったMOON CIRCUSがなくなったのは寂しいけど、会場内の移動の利便性やトイレ事情は格段に良くなった。新調したテントを後輩たちに組み立ててもらってスタート。
この年のライジングサンは、Perfumeが出演、すごかった。
フィッシュマンズを初めてみて、RAINBOW SHANGRI-LAのテントステージの中で音の中を自在に泳ぐ原田郁子がキラキラしていた。
友達に教えてもらって1日目の最後にみた初恋の嵐が最高だった。それから、当時一番追いかけていたいバンドだったandymoriのライブを初めて(&最後に)みたのだ。
トリはエレファントカシマシで、アンコールは『俺たちの明日』だった!
RISING SUN ROCK FESTIVAL 2013 in EZO
社会人5年目。この年のライジングサンは一人でライブをみていることが多く、転換の間にぼんやりといろいろなことを考えていた(仕事がちょっと煮詰まっていた時期だったのだと思う)。
1日目夜のサンフジンズ、奥田民生が唄う青い空と HOW TO GO がかっこよかった。久しぶりにみた真心ブラザーズも最高だった。
それから、RED STARの脇で、ミッシェルのライブ映像に合わせてみんな踊っているのも楽しく、そのあとチバの今のバンドの音圧と張り合いながら後輩と飲んだのも楽しかった。
終演後、記録的豪雨に見舞われるも、テントの中は無傷。昼前まで寝て起きたら、嘘のように晴れていた。
それから飛行機が取りづらいことを言い訳に後泊することを覚え、モエレ沼公園をレンタサイクルで走り回って帰ってきた。
RISING SUN ROCK FESTIVAL 2014 in EZO
社会人6年目。
フェスは初めてという後輩と一緒に行った。後輩は数年前に貸した『フィッシュマンズ 彼と魚のブルーズ』を、トリのフィッシュマンズのライブまでに見るといってフェス会場で読破。
2009年や2011年に出演したときはみていなかったので、2008年のEARTH TENT以来で、サカナクションのライブがこんなことになっているとは知らなかったのだ。メインステージであのMOON CIRCUSをスケールアップしたような光演出の中、ひたすら打ち込み&セッション。それが30分くらい続いて、その中から歌が立ち上がってきた時の高揚感は圧倒的だった。
フラワーカンパニーズ、まだ西部講堂でやっていた頃のボロフェスタ以来でみたeastern youth。
山下達郎のRED STARでのステージも心地よかった(夜中に演奏するのはデビューの年以来と言っていた!)。すっかりライジングサンの顔であるスカパラのライブは、モンパチをゲストに迎え、いつも以上に多幸感にあふれたライブだった。
そして、トリはフィッシュマンズ、UAの力強くのびのびした歌声もフィッシュマンズの音に最高に合っていた。
そして、この年のライジングサンは、かつて記憶にないくらいのきれいな朝日。
前年に味を占めてこの年も後泊。ライジングサンが終わり、ホテルで昼寝してからジンギスカンを食べるまでの間、後輩と札幌を散歩したのが、穏やかで心が軽くなるような時間だった。翌日は路面電車とロープウェイを乗り継いで藻岩山に行って、新千歳空港で石狩漬を買って帰ってきた。