スカイプは物理的な距離を越えるのか


「シングル単位の恋愛・家族論」という本を読んだときに、この本の著者はずいぶん叩かれているみたいですけれど、僕にとってはそれまで自分がなんとなく考えていた考え方をうまく説明してくれているなと感じました。


筆者は結婚概念を残すべきか、という問題提起をしています。

そのことを考えるためには、「結婚」ということから「結婚しなくても存在する関係」を差し引いた「結婚独自のもの」を考えなければならないとした上で、「結婚しないと得られないような男女平等な関係」はないのではないかと言っています。


そして
P39

簡単に言えば、「そりゃーいろいろ社会には問題があるかもしれないけど、私は夫と子供を愛してるからシアワセー」と大きな声で言いのけてしまう人は、自覚していないだろうけれど、非婚シングルや子持ちシングル、離婚シングル、同性愛者、事実婚者など、「標準から外れている(外している)人」を抑圧する構造に手を貸しているのである。そんなつもりはないということは何の反論にもならない。事実として専業主婦が所得税贈与税配偶者特別控除や基礎年金の優遇策を受けており、婚外子差別があり、家族手当が女性労働者には支払われず、パートなどの形態でしか女性が働けないようになっているためである。

と言っています。


また性分業結婚はリスクが高いとして、
P51

女性は働くこと。結婚や男に人生をかけないこと。女も男も自分の食いぶちは自分で稼ぎ、自分の行動の自由を確保すること。国家や世間に二人の関係を公認してもらうような「秩序に位置を占めておこぼれをもらう」こと、すなわち結婚なんてするな。

として、
p17

今までは社会構成が《国家‐個人−家族》の三段階構成であったが、シングル単位社会へ変革するとは、《国家‐個人》の二段階構成へと根本的に社会原理を変えることである。制度としては、介護や育児も社会化し、高齢者や児童や障害者自身の権利として社会保障体系を作り変えることが必要となる。

と主張しています。



スカイプは物理的な距離を越えるのか」ってすごく大げさなタイトルをつけてみたんですけど、それは最近個人的には目から鱗が落ちるような話を聞いたんです。

その人は遠恋している彼氏とずっとスカイプを繋いでいるそうです。寝ている間も繋ぎっぱなし。自分の時間が持てないし、よくそんなの耐えられるなーと思っていたのですが、よくよく聞いてみるとそんなに会話をするわけでもなくただ繋いでいるらしいのです。その人自身も、電話だとずっと話していないといけないからしんどいと言っていました。

そうではなくて、スカイプは繋ぎっぱなしで、基本的には各自が各々自分のことをしていて、しゃべりたいときはしゃべり、寝るときに「じゃあ寝るわ」、朝起きて「おはよう」、みたいな。


その話を聞いて、スカイプはもはやテレビ電話ではなくて、隣の部屋に住んでいる感覚なんだなーと、目から鱗が落ちたのです。


「シングル単位の社会・恋愛論」を読んだときに、物理的な距離っていうのはどうしても存在して、どちらかが仕事(少なくともいつ何時どこに転勤があるか分からないような仕事)を辞めて一緒に暮らすのに、結婚というのは現状手っ取り早い制度なんだろうなーということが、本論とはちょっとずれるんですけど、一番感じたことでした。

でもこの話を聞いて、近い将来スキンシップをもリアルに伝えられる時代が来たら、シングル単位で生きるというのが、案外多くの人に選択される時代が来るのではないかな、と思います。


シングル単位の恋愛・家族論―ジェンダー・フリーな関係へ (SEKAISHISO SEMINAR)


追記
ちょっと調べてみたらスカイプって一般的に「隣の部屋にいる感じ」として認識されているんですね。いまさら目から鱗、とか言ってだいぶ残念な感じですね。。


http://okozukai05.livedoor.biz/archives/50793394.html

「まだ寝ない?」     「うん、仕事中」

「もう寝るけど、話せない?」  「いま、忙しいから」

「じゃあ、スカイプ繋いだままにしてて。キーボードの音、

聞きながら寝るから」

彼女はそう言って、ヘッドセットを付けたまま眠る。

池嶋さんも同様にヘッドセットを付けたまま眠り、ガサゴソと

彼女が起き出す音で眼が覚めます。

「おはよう」のキスは出来ないけれど、

「引き戸が半分開いた隣の部屋にいる感じ」と、池嶋さん。

「彼女に言うと叱られそう」と前置きして続けた。

「会うのは月に一度くらい。でも、僕はスカイプのお陰で、

会ってない事を忘れますね。」