東京都青少年健全育成条例改正案

最初は「非実在青少年」という言葉のキャッチーさで盛り上がっているように感じた。

1年間の騒動の中で、ニコニコ生放送がきっかけじゃないかと思うんだけど、twitterやブログで確実に議論が深まっていくのを感じて勉強になった。

今や「たくさんの人に愛される文化が失われようとしているんだ!」というような素朴な主張はweb上でも支持されていなくて、基準が明確なものに対するゾーニングはやむなしってのが反対派の中でも多数派だと感じる。

おれはそのニコ生を見るためにはじめてニコ動のアカウントを取ったのでかなり衝撃で、この感覚はテレビでニュースを見ていたころにはなかった感覚だった。

春先に『これからの「正義」の話をしよう』を読んだのもタイムリーだった。


個人的には、東京都の行政は「何が健全か」という価値判断を極力すべきでないと考えているので、条例改正案には反対です。

東京都は、日本で働く人にとって『自由はどこまで可能か=リバタリアニズム入門』で言われるところの「自発的な加入と脱退が容易な」場所ではないと思う。

一都市であればある価値観を全面に打ち出して賛同する人を集めるのは構わないと思うけど、代替がない東京が価値観を強制するのであれば、犯罪率との相関などを統計的な根拠で裏付けるべきだと考えます。


という机上の空論は世の中を動かさない。かといっておれには、幼い子どもを持つ親がそこまで怖いと思う切実な気持ちは正直分からない。

更迭された法務大臣の冗談とは比べ物にならないよう失言を繰り返しながらも圧倒的に支持され続ける都知事は、みんなが本心では思っていても言えないことを、それが支持されると分かっていて確信犯で言っているのではないか?というのをどこかで読んで、なるほどと思った。


おれが思うことは、単純に政治家も報道も何か一段階理由を示して発信するように心がければいいのではないか。

政治ニュースはYahooニュースでしか見ていないので分からないんだけど、誰が誰と会って何とかと発言した、とか、誰々が会合を開いて何々と決めたとか、何でそう決めたのかの説明がない印象に感じる。

さっきYahooニュースでたまたま見た「小沢氏出席拒否を回答へ 岡田氏は政倫審招致の手続き進める意向」という記事には、小沢さんがなぜ出席拒否しているのかも、岡田さんが小沢さんが嫌がっているのになぜ招致したいのかも、書いていない(小沢さんが拒否しているロジックは他のところで読んだことはある)。

会社では何かの決定があるときには、それが建前であっても理由が添えられていて、みんなのために何々と決めました、みたいなのは見たことがない。

世の中には当事者同士でしっかり話せば建設的な方向に向かう問題と、どうしても分かり合えない問題とどっちもあると思うけど、情緒にだけ訴えかけて話されてもその判断すらできないので、叩きやすきものを叩くことから脱却できないと思う。