『貨幣論』のまとめ

経済の拡大ってどういうこと??【暫定解答編】 - あいうえおかの日記の補足説明です。

貨幣は、貨幣として流通しているから貨幣なのである

会社はこれからどうなるのかP250

貨幣とは、だれでもどこでもいつでも受け入れてくれる一般的な交換手段として、まさに資本主義経済における標準中の標準にほかなりません。貨幣を媒体として、多数の売り手と多数の買い手とのあいだで無数の商品が流通することが可能になったのです。


(中略)


ヒトがこれらの単なる金属片や紙切れや電磁波信号を貨幣として受け入れてくれるのは、それを他のすべてのヒトが貨幣として受け入れると予想しているからにすぎないのです。そして、他のすべてのヒトがこれらの金属片や紙切れや電磁波信号を貨幣として受け入れてくれるのも、たんに他のすべてのヒトがそれを貨幣として受け入れてくれると予想しているからにすぎないのです。ここで働いているのは、純粋な自己循環論法です。この自己循環論法によって、それ自体は何の価値もない金属片や紙切れや電磁波信号が、標準中の標準である貨幣として流通しているというわけなのです。

恐慌(物価下落)

時間をえらばずにどのような商品にも変換できる容易さの程度を「流動性」と呼ぶと、

貨幣論P167

貨幣とは、一般的な交換の媒介であることにくわえて、最大の流動性をもつ価値の保蔵手段でもある

ことになる。


そしてこの世になんの不確実性もなければ
貨幣論』P167

利子や配当を生んでくれない貨幣はたんなる交換の媒体としてしか使われず、債券や株式の売り買いに莫大な費用がかからないかぎり、だれも貨幣をながく保有していようとおもわないはずである。


しかし世の中は不確実性にみちているため(いつなんどき特定の商品が入り用になったり、お買い得になるかもしれない。債券や株式の価格がおもいがけない値下がりをするかもしれない。)、ひとびとは流動性にたいする欲望(「流動性選好」)に基づいて資産の一部を貨幣のかたちで保有しておくようになる。

ひとびとのこの流動性にたいする欲望が強まると、商品の買いを増やすか、商品の売りを減らす、つまり総需要が総供給にくらべて減退する(個別の商品に対してではなく、商品世界全体として)。

そして商品世界の価格のあいだの相対的な関係は以前と変わらないまま、たんに価格の平均としての物価水準が下落していき、総需要の不足が続く限り、物価は「連続的にかつ無際限に下落しつづける」(ヴィクセルの「恐慌」)

しかし名目賃金には下方硬直性があるため、価格の下落は累積的にはならず、かわりに生産と雇用が削減される。その乗数効果によって、
貨幣論』P184

貨幣賃金が下方に粘着的な経済においては、どのような理由であれ総需要が減少すると、経済全体の産業連関を通じてその何倍もの生産量と雇用水準の現象が誘発されてしまうのである

(ケインズの『一般理論』)

物価上昇

逆になんらかの理由でひとびとが過剰な流動性をきらって、保有している貨幣の量を減らそうとすると、商品全体に対する総需要が総供給に比べて増大する。そして保蔵から解きはなたれた貨幣が商品をおいかけまわす、いわゆるカネあまりの状態となる。すると物価や貨幣賃金が「連続的かつ無際限に」上昇していく。(インフレ的熱狂)

その際にそれが一時的なものでしかないという予想が支配しているならば、ひとびとは将来相対的に安くなった価格で望みの商品を手に入れるために流動性選好を増大させ、インフレーションは鎮静化する(このようなインフレの進行が好況)

一方、進行中のインフレが将来ますます加速化していくに違いないと予想し始めると、ひとびとは手元の貨幣をなるべく早く使い切ってしまおうと努め、インフレはさらに加速する(ハイパー・インフレーション「貨幣からの遁走」)。この場合、上記の循環論法は崩れ、貨幣が貨幣であることをやめてしまい「巨大な商品の集まり」としての資本主義社会は解体される。(『貨幣論』P208)