同意獲得ではなく合意形成のためのコミュニケーション技術

『医療とコミュニケーションについて』を読んだ。著者は内科医にして有名ブログ「レジデント初期研修用資料」の中の人。「状況のコントロール」を目指すコミュニケーションについて、患者さんとのトラブル事例や軍事戦略論の数々の参考文献に基づいて紹介していく。


著者の考え方がどんな風であるかは、たとえば最近のブログエントリー「美談の受益者について」が分かりやすい。

美談の受益者について - レジデント初期研修用資料

ところが接遇の問題を考えるときには、「悪い」メンバーも、「よすぎる」メンバーも、等しく接遇のリスクを生み出す。自分の判断で「良すぎた」成果をお客さんに提供するメンバーが出現してしまうと、お客さんの側から見れば、それは「当たり前」の水準が向上したのだ、と受け止められてしまう。クレームの頻度は、「悪い」メンバーが出現しても、「よすぎる」メンバーが出現しても等しく向上して、どちらにしても、結局チームは疲弊してしまう。

本の中でも同じ構造の話が紹介されている。「ここまで」と決めた以上の過剰に良いサービスを誰か特定のお客さんに提供してしまうと、有事の際に「これ以上のサービスは無理なので出ていってください」という切り札を切る大義がなくなってしまう。


「状況のコントロール」を目指すコミュニケーションにおいて重要なのは、一連の事実を共有して、お互いが見解を持つこと。見解の一致を目標としなくても、事実が共有されている限り、見解の相違は譲歩によって合意に結びつけることができる。

なので、お客さんのが怒った場合、感情に対して謝罪はするが、あくまでも専門的な見解に基づいて譲歩する。系統立てて最後まで説明するのではなく、まずは一言で見解を押しつけて相手の質問を生み出して見解をもってもらう。

そしてむしろ怖いのは、純真無垢に専門家の完璧性を信じて、自分の見解を持たずにただ「大丈夫」という言質を取ろうとする人。


この本は事例を詳細に観察して1つ1つを明文化して再現可能な技術に落としこうもうとしているのがすごいのだけど、ベトナム戦争の教訓で生まれた「受容可能侵襲量」の考え方に基づくダメージコントロール(多発外傷の治療において一気に治そうとすると逆効果)をコミュニケーションに応用しているのもおもしろかった。

たとえば人がギャップに弱いのは神経回路網における側抑制と同じ原理に違いないと勝手に思っているのだけど、そんな風にある分野の理屈を別の事例に適用して仮設を立てるやり方はわくわくさせられる。


「失敗に強いチームを作る」の項を読んでいて、自分に似たような体験があることは、自分が漠然と感じたことを言葉にしてくれている本だと思った。だからピンとこなかったところも、そのうちぐっとくるようになるのかもしれない。

また末尾の付録では、医者が万が一医療過誤訴訟の被告になった場合の具体的な対し方が、証拠保全から法廷に立つまで言葉遣いレベルで紹介されていてスリリングだった。

レジデント初期研修用資料 医療とコミュニケーションについて

レジデント初期研修用資料 医療とコミュニケーションについて