ビジネス書についての自分語り

『ビジネス書を読んでもデキる人にはなれない』を読んだ。

ゼロ年代のビジネス書ブームの変遷や古典的ビジネス書を支えるポジティブシンキングのイデオロギーを紹介しながら、出版社や読者がビジネス書にはまる構造を示す。提唱されるビジネス書との付き合い方はともかく、ゼロ年代後半のビジネス書界隈の空気をうまく総括している。

自己啓発については文化系トークラジオ Life 「就活」で何を学ぶか(神回!)で柳瀬さんが「仕事術の本は、天才が打法を語っているか、宝くじに私が当たった方法を教えます、のどっちか」という名言を放っていたり、速水さんの『自分探しが止まらない』がとてもおもしろい。


おれも2007年後半から2008年前半にかけてずいぶんビジネス書を読み漁った。

ちょうど就職活動をしているときで、ろくに研究室にも行かずに毎日のようにAmazonで中古ビジネス書を注文しては読んでいた。ようは漠然とした不安を覆い隠していたのだろう。

この本で「ビジネス書に振り回される人々」として描写されてるように妙にかぶれてしまい、就職活動自体にも間違いなく悪影響だった。案の定就職活動が終わってしばらくすると飽き、それ以後特に自己啓発本はむしろ嫌悪するようになってしまった。なんだけど、習慣が続いているライフハックや、数冊の今でも大切な自己啓発本がある。

だからビジネス書について自分の考えをまとめてみたいという思いがずっとあった。そしてそのためにはやっぱり『7つの習慣』を読破しなければならない!と思って買ってみたものの、前書きの時点であまりに観念的で読む気が失せてそのままブックオフに売ってしまった。

その後友人に勧めてもらって読んだ『20歳のときに知っておきたかったこと』に惹かれ、自分の中の好き嫌いの線引きがよく分からなくなってしまったんだけど、そんな状態なりにおれが考えることが3つある。

古典より劣化再生産版

この本でも「結局、本質は今も昔も変わらない」「自己啓発書で語られる内容、教えはそれら原典ですでに語られ尽くしている事柄が非常に多い」として、自己啓発書を読むのなら『7つの習慣』や『思考は現実化する』を読むことがお勧めされている。

この理屈は「昔の作品で残っているものは淘汰圧をくぐり抜けてきた作品だから名作」理論とは似て非なるものだと思っていて、違和感がある。

クラシックといわれるような映画を見てみると、目新しさのないストーリーだったりする。そしてその作品の魅力はそのストーリー構造を最初に確立したからではなくて、テンポがよかったりだとか、登場人物たちが魅力的に描き分けられていたりだとか、エンディングの切れ味がよかったりだとか、そういうところにある。

翻って自己啓発本が、古典も再生産版(一概に「劣化」というのはあまりに勝手な決め付けだ)も単に同じことが書いてあるのであれば、より今の状況に即していて読みやすい本を読む方が良いと思う。

網羅的で観念的な分厚い本よりは、1つテーマに絞って、自分にとってより身近な人物を題材にしていたり、物語形式で感情移入しやすく書かれている方が読みやすいに決まっている。

観念的な自己啓発本よりもライフハック

この本で50代前半の部長職の男性の言葉として肯定的に紹介されている「どうせビジネス書を読むなら各論に寄りすぎの本やノウハウ本ばかりでなく、もう少し大局的に物事を捉えられるような、思考の骨格にできるような、観念的なものを読んでほしいと思う」という言説に違和感がある。

概念やフレームワークを提示することには大きな価値があるけれど、それは何かに「意味」を見出す観念的なものとは異なる。

価値観こそ自身の体験や人間関係の中で培われていく固有でおもしろいもので、価値観と仕事ができる/できないは明確に切り分けるべき。

道徳的、倫理的、規範的にこうあるべき、という「べき論」で人を束ねずに、それでも周りの人と良い関係を築き効率的に成果を挙げるためにこそライフハックがあるのだと思う。

自己啓発ブームのシンボルである勝間和代さんが、『起きていることはすべて正しい―運を戦略的につかむ勝間式4つの技術』で皮肉にも以下のように書いている(個人的にはライフハック集だった初期の著作はわりと好きだった)。

ここで「技術」と私が呼んでいるものは何かと言うと、以下の4つの要件を備えている行動習慣を想定しています。

1 再現性高く実現でき、
2 継続可能で、
3 比較的早期から効果が現れ、
4 長期に効果が持続するもの

そしてライフハックというのは次から次へと新しいものを打ち出せるものではないので、新しい本を読んでも目新しいことが漸近的に0に近づいていき、心配しなくともビジネス書中毒になる前に飽きる。

たとえば楽器の練習がそうであるように、何事も最初は取っつきやすくどんどん新しいことを知ったりできるようになったりするけど、突き詰めたり、一歩抜きん出ようとすると積み重ねが必要になるフェーズが必ずやってきて、そこで自分が心から好きになれないことは自然と淘汰されてやめてしまうから。

ウォーターフォールよりもアジャイル

観念的なものが嫌いなのに、『最後の授業』や『20歳のときに知っておきたかったこと』が好きという矛盾は何なのか。

就職してから気がついたのだけど、倫理的道徳的なものに加えて、静的に自分を定義することが嫌いなのだと思う。

大きな人生の目的やミッションを定めて、そこに向けてブレークダウンした目標を立てて、それを達成するためのアクションプランを立てて、継続できる仕組みを作って、ってそんな風に暮らしていきたくない。

変化に驚き楽しみ、渦に巻き込まれて流され、後悔することもたくさんあって、気がつけば思いもかけない方向に進んでいて、そして後から酒に酔いながらconnect the dots的に自分語りをしていたい。


以上、読書は役立つとか偉いという言説とポジティブシンキングが単に嫌いなのだけど、その理由を考えてみました。

書いたことと矛盾するけれど、『ウェブ進化論ウェブ時代をゆく』『最後の授業 ぼくの命があるうちに』『自分の小さな「箱」から脱出する方法2日で人生が変わる「箱」の法則』『20歳のときに知っておきたかったこと』が今でも自分にとってとても大切な本であることは、ここに白状しておきます。