『規範なき現代』

いい大学に入って、いい会社に入ってがんばれば、家庭を持ってとりあえず自分の親よりはいい生活ができる、というのがバブルまでの「普通」だった。

低成長時代に入って、実はこの「普通」が当てはまるのはごく一部の人になっていっていて、そして20年低成長時代が続いて、みんなが少しずつそのことに気がつきはじめている。

じゃあその中で、どういう生き方を「普通」の生き方として求めたらいいの?


というのが、「規範なき現代〜萱野稔人×鈴木謙介」の趣旨だったと思うんだけど、後半は提示だけして一切答えていない。


いい企業に入れた勝ち組だけがアイデンティティを獲得して、他の人は自分を負け組と定義せざるを得なくなっているっていう話が出ていたけど、おれは「いい企業」で働いたことがないので、大企業で働いているというアイデンティティが存在するのかは分からない。

ただ、おれは「普通」が崩壊していくことはすごくいいことだと思う、と口では言っているくせに、前半の「普通にがんばれば自分の親よりは物理的に高い水準の生活ができる」っていうのは、恥ずかしながらそう言われてみれば自分も漠然とそう思っていた気がする。

だけどそれが少なくともおれの場合は現状有り得ないってことがリアルに分かった。会社は嫌いじゃないし、プログラミングは楽しいけど、5年後くらいには学生時代の同期の友人と年収が1.5倍くらい違ってくることが分かった。


おれはどうやら相当のさびしがりやらしいけど、就職して8ヶ月経って、まぁ土日にバイトがなくたって、誰とも会話しない土日がたまにあっても、それはそれでどうもなくなった。感情の起伏の殺し方を少し覚えただけなのかもしれないけど、その感覚は自分にとって新鮮だったし、ある種一つ成長したのかもしれない。

お金のためにがんばるというのと、家族がいて帰る場所があるからがんばれるというのと、仕事と自己実現が一致していると自分に思い込ませる(あるいは実際一致している)、という3つを除いて、じゃあフラフラ過ごしていける強さを身につけようとするのか、それともその3つのバランスの中にスタンスを見つけるのか。

何れにせよ、今の状況を考えると、あまりのうのうと過ごしている場合ではなくて、仕事に慣れてきたここで惰性になる前に、とりあえず次に何をしてみるのか具体的なアクションに落としていく25歳にしたいと思います。

恐らくおれは、「規範なき現代」的なものをわりとリアルに感じている方だと思うから、それはそれでラッキーなんだと思う。

そして、「たぶんこれからもずっと仲がよくて、その上今はたまたまお互い大阪勤務の友達」ではなくて、コミュニティーとして愛着がある人たちが京都にそれなりの人数いるのは最後の1年(まず4月でだいぶ減る)だから、そういう人たちの話をたくさん聞きたいです。