パソコンには感情がないからラクだけど

今日どっかのキャリアコンサルみたいな会社の心理テストをやった。

そのテストの判定によるとおれは「観察する人」で、自分なりに理屈や仕組みを見つけて物事を説明できたときにモチベーションが上がるらしい。

おれはこういうのを受けるたびに違う結果が出るし(去年の秋(?)に『さあ、才能(じぶん)に目覚めよう』のをやったときは、「自我・回復志向・個別化・慎重さ・調和性」だった)、血液型の問題でよく言われるのと同じようにラベリング効果やバーナム効果も働くだろう。

何よりもおれは「静的(static)な本当の自分などない」か、せめて「なるべくない方がいい」と思っている。


何の話かというと、今日の心理テストの「観察する人」の説明の中に、「自分の感情や気持ちを話すのが好きでない」「自分があまり感情を持たないため、他の人の感情にも関心がない」みたいなことが書いてあった。

「静的な自分」なんてものがないとしても、こういう心理テストは「その瞬間の自分」をそれなりによく表現している気はしていて、言われてみると最近のおれには「感じる」ということが完全に欠落している気がする(バーナム効果?笑)。


土曜日にロボピッチャーのライブを観に行って、いいライブで、一緒に行った友達の感想を聞いて、おれの頭からは出てこない感想だなと思った。

もうおれは思い入れとか思い出でしか音楽を聴いていないと思う。

音楽に対してはそれでも全然いいんだけど、思い入れと知識欲(技術や世の中の仕組みを深くシンプルに理解して、良い設計・オペレーションについて考えていたい、みたいな)だけで暮らしていくのはやっぱり違う気がする。


学生の頃は、同じ景色を見たり、同じ作業(バイトとか)をしていても、おれだったら何とも思わないことに対して、おもしろさがったり、発見をして、伝えてくれる人たちがいて、ずいぶん助けられていたんだなと、つくづく思う。

今年の夏はほとんど日光を浴びることがなくて、バイトに行くときに自転車を漕いで汗だらだらになったりすることももちろんなくて、「季節に敏感」(くるり『東京』)ではなかったと思う。


池谷裕二が指南!やる気が出る「脳」のだまし方 | 達人のテクニック

1つ目のスイッチはBody(身体)。身体は脳の支配下にあると思われがちですが、本当は逆で、カラダが主導権を握っています。

『単純な脳、複雑な「私」』や他の誰かの本にも書かれていましたが、身体感覚が先にあって、脳はその身体感覚に合うように感情を発生させる、という説が有力だそうです(吊り橋効果と同じ話)。

というのは実感とも合致するところで、今の生活って端的に言って肉体感覚がないんだと思う。


技術書やパソコンとにらめっこしたり居酒屋で飲むのも楽しいんだけど、屋外で飲んだり、行ったことがない場所をiPodをつけずに散歩したり、誰かとかわいい共同作業的なことをしたり、歌を歌ったり、気の置けない女の子にデートしてもらったりするのは大切だなと思います。