I Love My Life

集合研修最後の日は異様な空気に包まれていた。

3ヶ月間怒涛の勢いで受け続けたテスト、その最後のテストもいつものように解答に誤りがあって、だけどその訂正も行われないうちになだれ込んだ修了式。

脱落者を出さなかったチームだけが呼ばれて一人ずつ名前を読み上げられていく。司会をしていた上司の目にはうっすらと涙が浮かんでいるように見えた。気のせいかもしれないけど。


それから一人ずつスピーチをした。「おれたちは最高のチームだった」って今言ってしまったら自己満足でしかないから、これから時間をかけて証明していこうって誓った。

上司が全員に一人ずつ手紙を書いて渡してくれた。新人研修にアサインされたときから最後は全員に手紙を書こうって決めてて、思いをすべて込めたから、これから何度も読み返してほしいって言ってた。

そして飲み会へ。配属会社も勤務地もバラバラになる同期との最後の飲み会。毎週金曜日に欠かさず飲んでいたみんなとも今日でお別れ。明日の朝9時に引越荷物を送って、大阪に行く。

お前は正直連れて帰りたかった、もっとおれの下でしごきたかった、って言ってくれた上司とも、会社から違うからたぶん二度と一緒に働くことはない。

一次会と二次会の間に、一次会で帰ろうとしていたおれを引き留めてくれた同期と、手を掴んで、涙が止まらなくなった。酔っ払ってたんだろう。それをみんながちょっと離れたところから生ぬるい視線で見ている。ようやくスタートラインに立ったっていうのに、あいつとも一緒には働けない。


今となっては東京での3ヶ月間が夢を見ていたようで、現実感がない。ただ、あの3カ月で必死で掴んだ、どんなときにも前を向いて進み続ける覚悟と、その具体的な方法だけは忘れてはいけないんだと思う。


3ヶ月前に

もう京都には部屋も自転車もないけれど、ただそれだけのことだ。 - あいうえおかの日記

考えてみれば、6年前、京都に来たとき、誰ひとりの知り合いもいなかった。

だから大丈夫。どこへ行ったってきっと、こんな風に楽しくやっていけるさ。

って思った。3ヵ月後、おれは自分でもびっくりするくらいいじられキャラになっていて、関西配属をあれだけ強く希望して叶えてもらったのに、このまま東京に残ったほうがいいんじゃないかとすら思った。


そしてまた新しい生活が始まった。引っ越してまっさきに自転車を買いに行った。

昨日は2ヵ月後に配属される部署の部課長と新人の相談役みたいな先輩たちが新人歓迎会を開いてくれた。

課で行った2次会で、課長が熱く語るのを聞いて、この人についていけば大丈夫って思った。


今日は磔磔曽我部恵一Bandを観に行って、バイト先でご飯を食べた。

2回目のアンコールで曽我部さんが磔磔の階段で、『若者たち』を弾き語っているとき、汗だらだらの体をクールダウンしながら思った。京都に帰ってきてよかったって。

それからバイト先に行ったら、もううれしくてしょうがなかった。ずっとバイトに誘っていたサークルの後輩が、うちの店でバイトを始めたことを聞いて、それもうれしかった。


仕事もプライベートもない。サークルの友人とか、バイトの友人とか、研究室の人たちとか、会社の同期とか、東京とか、大阪とか、京都とか。

ゆっくりでも、立ち止まりながらでも、前を向いて、すべてをぐちゃぐちゃに混ぜ込んで進んでいきたい。