「要領がいい人」のなり方

学生時代のボスによく言われていたことの一つに、

下の世代に自分がしたのと同じ苦労をさせていはならない。下の世代が上の世代と同じところで立ち止まっていたのでは、サイエンスの進歩はない。


下の世代は、上の世代が築き上げたものを最短距離で習得して、それを使いこなして新しい課題に挑戦していく責務がある。その繰り返しでサイエンスは進歩していく。


そのためには教えを乞うことや、知識・技術・経験を盗むことに遠慮があってはならない。

ということがあります。



「要領がいい人」について考えていんだけど、この2つの記事で見事に説明されてしまった。


自分と同じ苦労をしなくていい人を見るとキレる人々 - 狐の王国

自分がそれなりに苦労した分、他人がその苦労をスキップしてる(ように見える)と、その事実を認めたくなくて冷静さを欠いてしまうのだろう。

俺は「苦労は報われる」とか「苦労はいいことだ」みたいな考え方が大っ嫌いで、その理由の一つはまさにこれだな、と思った。苦労すると他人が苦労してないのを許せなくなる。他人が苦労するように働きかける。みんなが苦労しなきゃいけなくなる。


つらい思いの拡大再生産はご勘弁願いたい。


苦労なんてしないですめばそれにこしたことはない。他人が苦労してないのが許せないなら、自分も苦労しないですむように働きかければいい。他人に苦労させる必要なんて無い。


過去の苦労が無駄になる? そんなことはない。あなたの苦労は今にちゃんと生きてるじゃないか。その苦労があるからあいつらは苦労しないで済んだんだ。堂々と「俺の苦労のおかげだ、ありがたく思え」と言えばいい。


同じ苦労など決してさせないことこそが、自分の苦労が生きる道だと、誇りに思って欲しい。

「きわめて短時間にそこそこの成果を上げる人間」の取説とその弱点 - ミームの死骸を待ちながら

彼らの致命的な弱みは、いつまで経っても精神的な充足を得ることが出来ない所にある。


「自分にないものを求める」という人間の性質に漏れず、上澄みを掬うことが上手な彼らは、特定の世界において「選択と集中」を行ったプロフェッショナルにあこがれる。


あこがれつつも、プロフェッショナルとの間に超えられない壁があることもわかっているのが彼らという人間である。プロフェッショナルを横目に、多様な世界で「そこそこの成果」を残し、たまに「革新的な異分野融合」を成し遂げながら、生きて行く。


そうしてたくさんの世界に足跡を残しながらも、本人は永遠に「これでいい」と満足することなく、いつのまにか消えていくのである。

(こちらの記事では「きわめて短時間にそこそこの成果を上げる人間」と「要領がいい人」は明確に区別して書かれていると思うけど、個人的には共通する特徴は多いと思う)



なので、「要領がいい人」のなり方について考えてみた。


先人の知恵にただ乗りすべきところと、自分自身の時間と頭を徹底的に使うべきところを明確に区別する

車輪の再発明 - Wikipedia

車輪の再発明(しゃりんのさいはつめい、英:reinventing the wheel)とは、車輪を題材にした慣用句であり、世界中で使われている。「広く受け入れられ確立した技術や解決法を無視して、同様のものを再び一から作ってしまうこと」を意味する。

車輪の再発明をしない。

先人が築いてきた、フレームワーク・技術・アルゴリズム・プロセスを最短距離で習得する。そのためには高い本を買ったり、セミナーに行ったり、高いツールを使ったり、最先端にいる人を見つけて図々しく直接習いに行ったりする。

認識していないものは習得しようがないため、最先端の情報に対するアンテナを常に張っている。決して一から自分で作り上げようとしない。

金をかけ、直接習う。

これによって、細かいステップごとの意味・ニュアンス・コツ、既になされている条件検討・まだ行われていない条件検討までを自分のものにする。原理にこだわり、ブラックボックス化している部分を作らない。

中でも”プロセス”に関しては明文化された型が極端に少ないため、戦略コンサルティングファームコンサルタントが重宝されたりするんだろう。


次にそれを徹底的に使い倒してアウトプットしていく。ここで初めて習得したものに自分流のアレンジを加え、自分自身の時間と頭を徹底的に注ぎ込む。

知っていることと使いこなせることには大きな開きがあるし、同じフレームワークを使っていてもアウトプットには大きな差が出る。


たとえば、同じWordというソフトを使って、「今週の目標・実績・課題と対策・来週の目標」というフレームに沿って、みんあが一斉に週間報告書を書く。

こんな些細なことでも、かかる時間にも、出来上がった報告書の見栄えにも内容にも、一目瞭然の差がつく。


異分野での体験・知識が融合した、シンプルな原理と多様な表層を持った物語を作っていく

中心にシンプルないくつかの公理(場合によっては信念みたいなもの)があって、それを取り囲んですべての体験・知識が密接に絡まりあって一つの物語を作っている状態にしていく。

新しいことを学ぶとき、それは独立の新しい世界にはならず、以下の3つのいずれかとして認識する


1、物語の具体例となるもの
今ある物語からの演繹で必然的な帰結/物語が原理となって表層に新しい形で出てきたもの。
だから記憶すべきことは極めて少ない。また新しいものへのイメージを短期間で得ることができる。


2、物語を拡張するもの
未知のものと判断され、物語の適切な場所に書き加えられるもの。


3、物語の一部を書き換えるもの
物語世界と矛盾する仮説に出会うと、即座に物語世界から導かれる対立仮説を立てて検証した上で、出会った仮説を棄却するか、その人の物語世界に取り込むかが判断される。


そして物語に何かが付け加えられたり、一部が書き換えられると、全体が再構築され、その人の物語世界は、よりシンプルな公理と、より密接に絡まりあう多重階層で多様な表層を持ったものになっていく。

常に的確な目標を設定し続ける

目指す姿がクリアであり、現状認識が的確である。そして、そのギャップを埋めていく”しるべ”となるSMARTな目標を立てている。

目標は短・中・長の段階に分けて立てられており、達成するためのアクションプランにまで落とし込まれている。

このアクションプランはなるべく、自分で一から考えたものではなく、先人の知恵にただ乗りした既に実績があるものにする。

高頻度で進捗状況を確認し、状況や興味に合わせてアクションプランから目指す姿までをも柔軟に変えていく。

これにより、たとえ目指す姿がコロコロ変わったとしても、その間にも短期の目標は達成され、物語世界はより広がったものになっていく。