配属が決まって
もう半年以上前の内定式の日、「いかにも日本の大企業」という杓子定規な式と役員からのメッセージにげんなりしたことを今でも思い出します。
ぼくは結局、研究者という生き様が大好きで、だけどそうなれない自分が嫌なだけなんだな、と再認識させられたのです。
そして、その気持ちは今でも変わらなくて、あの頃よりは少しは成長しただろう自分を思っては(なにせ土日も、予定がなければ研修とは直接関係のないことを7時間とか勉強できるようになって、それは今までの自分では考えられないことでした)、もしかしたら今研究の世界に戻れば・・・と思ってしまったりします。
そんな内定式の中で、一つだけすごく印象に残っているメッセージがあって、それは若い人事の方の話で「腹を決める」ということです。
みなさん就職活動の中で、悩んだり考えたり落ち込んだりしたと思います。就職するかどうかということから始まり、今でも、この会社で本当に良かったのか、と悩んでいる人がたくさんいると思います。
考えたり悩んだりして自分の道を選ぶことはすごくいいことです。それだけ真剣に自分と向き合ったことを誇りに思ってほしい。
だけどどこかで腹を決めないといけない。
自分はこれをやるんだ!と腹を決めることで、それじゃあそれまでの時間をどう過ごすか?、どんな風に働いていくか?、初めてそんな風に先のことを考えられるようになるんだと思います。
今日をそのきっかけにしてほしいと思います。
そんな話でした。
おれは今までずっと「腹を決める」ことができずにいたけれど、5年間はこの会社で出せるだけの成果を出してやる、と今度こそ腹を決めるときなのだと思います。
5年後には1年分の生活費を貯めて、一流の(超一流のではないにしろ)技術を身につけて、広い意味でのプレゼンテーションもうまくなって、肉体的にも精神的にもタフになって、誇りを持てる実績を積み重ねていて、もうどこに行っても何をやっても生きていける状態になっていることを目指す!
とここで自分に宣言しようと思います。
そして、最近考えた2つのことを記録しておこうと思います。
1、「エリート」であろう、という意識を持つこと
エリートという単語は、だいたいにおいて否定的な意味で使われがちだと思います。
おれもすごく嫌いな単語でした。
だけど、ちょっと前に読んだ本に書いてあった
エリートとは「選ばれたもの」というよりも、「集団への責任を自覚した者たち」と解すべきなのだ。
という言葉が印象的でした。
おれが好きな言葉に
You must be the change you want to see in the world.
という言葉があります。ガンジーの言葉だと思います。ガンジーって何をした人なのか未だに良くわからないけれど。
世界がこうなってほしいという変化に、まず自分自身がなりなさい。
この言葉は2つの意味で深い覚悟を含んでいると思います。
1つ目は、ただ不平・不満や批判を言いたいだけではないのか?ということです。
もし本当にそれを望んでいるのならば、まずは自分がそのように行動しているはずです。
2つ目は「変化を起こす」のではなく「変化になれ」という点です。
英語がすごくできるわけではないので、そういうニュアンスを含んでいるのかは分からないけれど、おれはそう解釈しました。
「人や物事をコントロールして望ましい方向に導こう」という傲慢な精神では、何事も成し遂げられない、ということだと思います。自分自身が台風の目になって周りを巻き込んでいく、そういう覚悟がありますか?と言っている気がします。
2、がんばればいい、という発想を捨てること
同じことをするのに、1時間で終わるのと、2時間かかるのと、どっちがいいか?と聞かれれば、それは一時間で終わるほうがいいに決まっています。
と、それだけ聞くと言うまでもない、と同意が得られると思います。
ところが、実際いざそういう局面に立ち会うと、なぜか人は二時間かかった人を「あの人はよくがんばっている」と評価してしまいがちです。
研究室で教授から口を酸っぱくして言われていたことをちょっと誇張していうと、
まず周りを納得させるような結果を出せ。その上で、自分の思うように時間を使え。研究だけをして小さい世界に閉じこもるな。何時から何時まで研究室にいる、ということで学生を評価するような教授は相手にするな。
ということです。
実際にうちの教授は、土日は少年サッカーの監督をしていて絶対に大学には来ませんし、4年に一度のワールドカップでは有給を取って、生物の世界で築いた世界中のコネをフル活用して観戦ツアーに出かけます。
それから外国人の研究員も、土日も朝から晩まで働いているかと思うと、盆でも正月でもないのに数週間休みをとってどっかに旅行に行ったりします。
そういう外国人に対する日本人の評価はネガティブな意味での「個人主義」というものになりがちだと思いますが、実際のところうちの外国人は、研究室全体として成果を出すことや、学生を盛り上げること、みんなを楽しませることに大多数の日本人よりも情熱を持って行動しています。
仕事は仕事と割り切っていて、そういう生き方は日本人とは合わない、とか言いますが、実際のところ彼らは多くの日本人よりも研究に対してワクワクしていて、仕事が大好きなように見えます。
自分がやっていること(仕事もプライベートもなく)・時間の使い方・周りとの関係・周りの人の気持ち・世の中との関係、そのすべてが自分の人生で、トータルで人生は楽しんだもの勝ちである、という力強くて前向きな精神性を感じました。
考えてみると、がんばっているかどうかで人を判断するというのは、がんばっているけれど成果が出ない相手を見下して安心するか、自分より成果を出している人に対する「自分はああはなれない」という妬みの混じった諦めでしかないと思います。
貫きたい自分のスタンスを見つけ、それを貫けるしなやかさ・周りを巻き込んで楽しめる力強さを身につける。そんな5年間にする。
7月から関西に帰れることになりました。