さびしいという感情

押尾コータローの『Splash』『そらはキマグレ』『戦場のメリークリスマス』、岸部眞明の『Athletes』『花』、久石譲の『Summer』


昨日サークルの企画ライブを見に行って、あの狭いライブハウスには人がぎゅうぎゅうに詰まっていて、一番手だった友達は懐かしい曲を矢継ぎ早に演奏していた。

たばこの煙が似合うあのライブハウスで、おれはたばこを吸いながら、そのライブを見ていた。

彼がギターを弾くところを、他の誰の演奏よりも長い時間見たんだろうなと、ふと思った。

サークルのライブを見ていると、嫉妬とか挫折というもやもやが襲ってくるのは、今でもあまり変わっていない。

だけど、彼の演奏はやっぱり凄くて、今はそういう感情から目を背けたいとは思わなくて、美化して終わらせてしまいたくない思い出や感情がまだ今は美化されていなくて、そういう感情が楽しかったです。


それから友達数人と飲んだ。

誰かがつきあったり別れたりするたびに行くのが恒例だったビートルズバーに行った。それからうちで7時まで飲んでしゃべっていた。

誰かがつきあったり別れたり、ってのはただの集まる名目に過ぎなくて、いつも関係ない話で盛り上がっていた気がする。

はてなブックマークとか2ch、有名ブログ、本なんかで仕入れた知識しかないのに、なんの具体的な体験の裏づけもない妄想で、音楽とか、恋とか、理想の女の子とか、文章とか、アップルとか、グーグルとか、経済とか、日本とか、将来とか、そんな話をしていた。

だけど、それぞれの置かれている状況は少しずつ変化していて、だから視点はどんどん変わってくるからおもしろくて、そして何を言っても大丈夫という絶対の安心感だけが変わらない。

解散しようとドアを開けたとき、外はすっかり明るくて、異様にさわやかで、あの感覚は中毒的です。


今日で今度こそバイトが終わる。

バイトのみんなともう一緒にいられないのが辛い。

今大学1年生とか2年生の大好きな後輩たちが、これから楽しかったり悩んだり、誰かとつきあったり別れたりしながら、少しずつ大人になって、そして店を卒業していくのを見ていられないのが、悔しい。ずっと一緒にバイトをして、話を聞いて、一緒に一喜一憂していたい。

自分でも気持ち悪いと思うけど、しかもどんだけ上から目線やねんって話だけど、おれはみんなの大ファンです。



これから会うときは、常に「久しぶり!」っていう言葉が付きまとってきて、その状況だけでは伝わらないものがあるような、でも意外とそうでもないような、よく分からない。

もうみんな地元に帰るのは正月だけにして、お盆には京都に帰ってくることにしたら、なんて素敵なことかって思う。だけど泊めてもらえる場所もなくなっていくからそんなことは現実的ではない。

だけど、集まる場所は、京都がいい。