コミットメント

3年間の研究室経験は、端的に言うならば挫折だったというしかないと思う。

いよいよ明日、修士論文発表会。

4年続けた居酒屋のバイトを2月20日で上がることになって、その送別会を来週の金曜にしてもらうこともあって、解放感よりは、さびしさと落ち着かなさに支配されています。



曲がりなりにも3年間自分の生活の中心にあったものを胸を張って語れないのは悔しいし、それでもプレゼン次第でそれなりに見えてしまうのも何かやるせない。

なぜちゃんと自己満足して終われなかったのか?


それはやっぱりコミットメントの弱さだったと思います。

だけどもっとコミットメントすべきだったとか言ってても、現実できなかったわけで、ではそれはなぜなのか?



何かにコミットメントするためにはとりあえず2つの側面からのアプローチがあると思います:1、他のことをシャットアウトする。2、それ自身の自分にとっての魅力を上げる。


1の道は、たぶん強力な道で、ときには必要なことだと思う。おれの場合はとにもかくにもまず居酒屋のバイトなんてやめるべきだった、ということだと思うけれど、それだけはしたくないとずっと思ってきて、その考えは今も変わらない。「何かに集中した結果として、他のことをシャットアウトする」ということはあっても、「他のことをシャットアウトすることで、何かに集中する」という道はおれはたぶんこれからも選べないと思う。

だから2について考えてみた。

そして、自分が何かにコミットメントするときとしないときの違いを考えてみて、自分がこれをやるんだ!と決めてがんばるときに不可欠な2つの要素に気がつきました。


1つ目は、段階段階ごとに進展が目で見えて、その進展がそれなりに周りの人に認めてもらえること。

2つ目は、数人のチームでする、ということ。


これを研究に当てはめると、おれにとって何が足りなかったのか?



最低2つの研究テーマを持つべきだ、という話がうちの研究室では良く出ます。本当は教科書を書き換えるくらいの仕事でないと意味がないって思っているけれど、それじゃいつになったら論文が出るか分からなくて食べていけない。だから並行して確実に論文になる仕事もしっかりして両立すべきだ、という話です。

それは食べていくっていうことだけじゃなくて、精神的な面でもすごく重要だとおれは思います。どんなに夢を持って壮大な研究テーマを選んでも、うまくいっているのかいないのかも分からないのでは、気持ちが持たない。確実に結果が出ることをすることで、最悪これで卒業できるとか、論文は書ける、という心のゆとり。それから結果を出していることで研究に対して前向きになれると思います。

例えば修士2年という期間を考えると、先に結果を持ってから大きなテーマにチャレンジする、あるいは先に大きなテーマにチャレンジしておいて厳しそうな確実に結果が出る実験を始める、という戦略も考えられると思います。

しかし、前者の場合、結果が出だすとどこまでも追求する余地はあって、瑣末なことを突き詰めて終わる可能性があると思います。後者の場合、追い込まれて精神的に苦しくなる可能性が高いと思います。だから両者を並行してやっていくことが大切なのだと、強く思いました。


そして当たり前のことですが、大きなテーマもステップステップに分解して、一段階ごとに結果を(いい結果だろうと、ネガティブな結果だろうと、失敗であっても)目で見える形にして発表していく、というのが大切なことで、自分に足りなかったことだったと思います。

これは2つ目とも関わることで、研究は基本的に一人でするものです。だけど、それぞれ自分の専門の周辺にストーリーを持っていると思います。自分が出したデータが、そのストーリーの中にどのように位置づけられ、どのように影響を与えうるのか、そういうフィードバックを受けることが、大切なのだと思いました。

それから2つ目に関しては、もっと単純に、誰かに実験を教えてもらったり、教えたり、それから雑用を一緒にしたりすることでも、おれは一人でやるよりはるかに強くコミットメントしていました。



とにもかくにも、練習は飽きるほどして、たくさんのご指導をいただいて、発表はかなり分かりやすくなったみたいなので、明日精一杯発表しようと思います。