うちのサークルの魅力はカオス的雰囲気だと思う


昨日はサークルの1個下の後輩たちの卒業ライブ&追いコンでした。


おれは、「1個下の後輩が卒業するということで、一つの時代が終わった」みたいな感慨はまったくわかなくて、ただただ楽しい1日でした。

その理由は、1つは自分自身がサークルに行くこともほとんどなくなり、サークルに対して何か具体的な意見とかを持つことがなくなったこと。

もう1つは、自分自身があと1年京都で学生をするわけで、多くの後輩は来年も京都にいて、そして仲がいい後輩たちとの関係は今も必ずしもサークルでの活動やイベントを通して繋がっているわけではない、つまり何も変わらないだろうなーと感じているからだと思います。


おれにとって1個下の後輩たちは憧れでした。ずっとうらましくて、ちょっと妬きそうな時期もありました。うちの代が持っていないものを全部持っている気がしていたし、昨日の卒業ライブを見ていてもやっぱりそんな気がしました。

それは、楽器のバリーエーションが多いこと、誰と誰が組んでも曲をしていること、なぜかすごく一体感があること、例えばそういうことで、誰よりも彼らの代の部長さんがそういう空気を持っている気がします。

でもそれは多分お互いないものねだりで、だからうちの代と1個下の代は仲がいいんじゃないかなーと思ったりします。


卒業ライブのMCや追いコンでの挨拶の中で、うちのサークルの魅力は「どんな人が来ても受け入れられて、なぜか楽しくやっていることだと思う」というようなことを言っている後輩がいて、それはすごく同感でした。

ノリが良くても悪くても構わない、サークルに恋愛を求めていてもいなくても構わない、楽器が上手くても下手でも構わない、音楽に対してストイックでもストイックでなくても構わない、バンプしか聴いてなくてもブルースしか聴いてなくても構わない。

たぶんそれは音楽には共通の目標なんてないことと、うちのサークルが固定バンドという形を取っていないことが大きく関係していると、おれは思います。

この「誰が来ても受け入れられる」風土と、「誰と誰が組んでも曲をやっている」「何人かで飯を食いにいくときにメンバーが固定化されない」という習慣があれば、規模が大きくなろうが小さくなろうが、例えばエレキギター使おうが、うちのサークルのおれが好きな部分は変わらないだろうなーと思いました。


うちのサークルの音楽の魅力は、「誰かがギターを弾いて歌っていたら、自然とみんなが集まって一緒に歌っている」「気がつけばセッションがはじまっている」というような「即興性」だ、という意見にはすごく同感です。でも、そういうことをしない、というかできない、おれにとっての一番好きな部分は、上に書いたようなことだろうなーと、そんなことをみんなの言葉を聞きながら考えていました。