音楽とサッカーとビールとたばこ


昨日はサークルの同回生で卒業ライブの打ち合わせ的な飲み会がありました。

飲み会のあとは、車で来ていてなんと酒を1滴も飲まなかった友達の運転で野郎5人で将軍塚に夜景を見に行き、ドラえもんの道具はドラえもんを買うとついてくるのか?それともオプションなのか?という話で盛り上がりあまたのカップルたちを退散させ、駐車場にパトカーがいてもうバイクで行くのはやめよう(特に飲んでいるときは)と心に誓い(将軍塚はなぜかバイクは進入禁止です)、そのあとびわ湖を見に行きました。砂浜に響く波の音はなかなか青春でした(笑)ありがとう!

サークルの同回が全員ではなかったけど一堂に会するのはなかなか久しぶりの機会で、海外旅行で追いコンも卒業旅行も行かれない僕にとってはたぶん最後の機会でした。

たとえばバイト先と比べたとき、サークルというコミュニティーは確かに自分の中で過去のものなんだな、とそう実感した1日でもありました。一緒に時間を共有して1つのことをするという貴重さをつくづく思います。そう考えると卒業ライブにも卒業旅行にも参加できないのはやっぱりさびしくてしょうがないです。

コミュニティーが終わっても、人間関係が終わるわけではありません。おれにとってクラスの友達とは不思議な存在で、酒を飲んだりカラオケに行ったりする以外は一緒に何かをしたことなんてほとんどないのに、一番心地いい関係の1つであり、一緒に飲む機会がもっとも多い人の一人です。

サークルで出会った人たちの中にも、おれにとってはそういう人である人が何人かいて、なんともハッピーなことに両思いであった人とだけそれが続いていく、そしてそれはコミュニティーとしてではなくパーソナルな関係としてである、というそれ以上ではないと思うけど、でもおれは酔っぱらって音楽を聞いていたりしたときにふとサークルのことを思い出してサークル外の人には分かってもらえることのない感傷に浸って周りの人を愉快ではない気分にさせる、ということがなくなることはないだろうなとも思います。


音楽とサッカーとビールとたばこがおれにとって一番追い求めるものなのかはなかなか難しいもので、たとえばおれは音楽を作ることができないから音楽の近くにい続けられて究極的には音楽を作ってくれる人に貢献できることはある種幸せだと思うけど、いざそういう夢に向かって進んでいきうる道があったとして他のものを捨ててその道を選ぶかは実際に考えてみると単純に答えを出せる問題ではないなと思います。

音楽とは生活の範囲内で聴くことを楽しみつつたまに非日常で狂うのがやっぱり一番だという気持ちと、少しでもそばにいたいという気持ちは、どっちもおれにとって本心なのです。

おれはやっぱり安定な立場を捨てて博打のような夢にかけられるほど強くはないしタフでもないなと思うし、一方、だからこそなんだろうけど、きっかけがあったときただ博打のような夢にかけることに強く憧れるというだけの理由で勢いで道を選んでしまう危険性とも隣り合わせだと思うのです。