『どうして羽生さんだけが、そんなに強いんですか?』を読んだ。

これはすごい本だ。


おれはサッカーを見るのが結構好きです。

テレビで見ていてスーパープレーに魅了されるのももちろん、スタジアムではじめて観戦すると1つのパスの鋭さに衝撃を受ける。

サッカーに興味を持てない人が、その理由がもしも、サッカー界隈が何となく放つ「おしゃれでしょ」的な感じとか、日本代表戦の一体感の気持ち悪さだとか、高校時代に花形だったサッカー部員に対するコンプレックスであるとするならば(言うまでもなく全部自分の話です)、地元でやっている500円とかで観られるJ2の試合でいいので一度観戦してから決めてほしい。

と同時に、当たり前のこととして、やっぱりサッカーに打ち込んだ人にしか分からない凄さがあるのは言うまでもない。

おれは大学で1年間サッカーサークルに所属していただけで、経験者と一緒に観戦しているときのため息には共感しきれないことも多くて、アクロバティックなスーパープレーに興奮する素人です。

実はサッカー観戦には経験者でなくても可能な圧倒的に楽しむもうひとつの方法があると思っていて、それはウィニングイレブンをやり込むことなんだけど、おれはウィイレもやりこんでいない。だけど、サッカーを見るのは楽しい。


将棋も同じ構造で、アクロバティックなスーパープレーというものがない分、将棋を指さないけど観戦するという人がほぼいないのは当然のことだと思う。

おれは将棋のアマチュア三段を持っている。今はアマチュア初段もないと思うけど、10年前は毎月『将棋世界』という月刊雑誌も買っていて、それなりに熱心に将棋を追いかけていたファンだった。

マチュア三段というのはやっかいな強さで、「小学校のときにクラスで一番将棋が強かった」という人には絶対に負けないし、正直退屈である。一方、一定期間真剣に取り組めば誰もが到達できるレベルであって、大学生とかで将棋やっていますという人にはまず勝てない。のでやはりお互い退屈である。


何よりやっかいなのは、アマチュア三段を取った全盛期であっても、プロ棋士の将棋を観戦しても何がどうすごいのか分からず、なかなか観戦を楽しめなかった。

この本のメインテーマの一つでも描かれるように、将棋には定跡と呼ばれる各戦法に対する最善手の応酬とされている決まった手順があり、序盤はそれに基づいて(ある種、自明として)進むことが多い。ところがまずこの部分で、なぜその手でなくてはならないのか、他の手を指したらどう対応されて悪くなるのかが分からない。

そこには膨大な歴史の蓄積があるわけで、数多くの将棋本が出版されているけど、膨大な変化の全てについて、アマチュア三段レベルにも優劣の判断がつく状態まで先の手順を説明することは不可能である。

この「アマチュア三段レベルにも優劣の判断がつく状態」というのも難しい。プロ棋士の対局でどちらかが投了した局面ですら(将棋は王様を取ったほうが勝ちというゲームであるが、勝ち目がなくなったと判断した時点で「負けました」と投了するケースが多い)、優劣の判断や、具体的にそこからどう進めていけば相手玉の詰みまで持っていくのかが推定できない。


そんなわけで、勝てもせず、観戦していてもフラストレーションばかりがたまる将棋がすっかり嫌になって(それ以上に個人的な屈折もあって)、将棋に触れなくなり、10年くらいが経った。

コンピュータ将棋の隆盛については多少はフォローしていたけど、将棋観戦に対してウェブがもたらした(あるいは梅田望夫がもたらした)この10年の変化をまったく知らなかったので、この本を読んで、棋士たちが梅田さんをここまで受け入れ、率直な本音を吐露していることにまずびっくりした。

あとがきで梅田さんも書いているようにもちろん指し手自体の解説もあって、この本を読むのにルールを知っている以上の棋力が必要なのかはおれには判断がつかないんだけど、少なくとも指し手としての梅田望夫を感じさせるところは一切ない。そして将棋をやっていたころにこんなに興奮しながら観戦記を読んだことはなかった。

筋肉質で、衒学的なところが一切ない梅田さんの文章は相変わらず冴え渡っていて、「2手目△8四歩問題」というようなキャッチーなテーマ設定もわくわくさせられるもので、梅田望夫の最先端と一般の人を繋ぐ翻訳者としての力強さを改めて感じた。


決して釣りではない「どうして羽生さんだけが、そんなに強いんですか?」というタイトル(「はじめに」の中でその真意が語られる)、羽生さんの言う「伝統と技術」という極端な両面を併せ持つ将棋の魅力を伝える臨場感、第三章の山崎七段の魅力的な人間描写。

そして第四〜五章で描かれる「著作権のない研究競争における共同研究や情報流通」問題、「研究の弊害」問題

ある局面を大勢でつつくと研究を深くやっているのだろうなぁと皆から思われている人、声が大きい人の意見が通ってしまう。それで、そこで出た「結論めいたもの」を皆が鵜呑みにして、その「結論めいたもの」が別の研究グループへとウィルスみたいに伝染してしまうんです。
(中略)
だから一つ一つ吟味する時間がないまま、皆が中途半端な結論を鵜呑みにしているところがある。あの人がこう言っていたからこの手はもうダメなんです、みたいに言われたら、一瞬納得しますよね。

「結論が出てしまったことが、結論が出てしまったがために語られず記録されずに消えていってしまう」問題と、『ウェブ進化論』から一貫したテーマのその先も語られている。


高校時代に恩師に借りて読んだ『将棋の子』を読み返したくもなった。



追記

梅田さんのタイトルに対するエントリーを見つけた!

どうして「どうして羽生さんだけが、そんなに強いんですか?」という書名にしたんですか? - 梅田望夫のModernShogiダイアリー